2017秋・四泊五日北インド弾丸ツアー旅行記(ファテープル・シークリー編)
インド初心者向けに、同じ初心者目線から生の情報をお届けしている本ブログ。「お役立ち情報もいいけど、実際の旅の様子も知りたい」とのお声を受け、旅行記シリーズの連載を始めました。
三回目となる今回は、アグラの世界遺産、ファテープル・シークリーをメインにお届けしていこうと思います。
この旅行記は複数記事にわたる続きものとなっています。第一回は下記のリンクからどうぞ。シリーズの概要、および旅の概要についてもあわせてご紹介しています。
前回の記事はこちらです。
二日目 @ファテープル・シークリー
ランチのあとに向かったのは、アグラ郊外に位置するファテープル・シークリー。1986年に世界遺産登録された都市遺跡です。
専用バス

一都市まるまる遺跡になっているので敷地は広大。駐車場から先は専用バスで移動します。
走っている間、ドアは開けっ放し。海外ではよくあることだし、このくらいなら別に身の危険もないからいいんですが、そういえば列車もドア開けっ放しで走るんですよね、インド……。
デリー駅のホームにて。
構内アナウンスの\ ジャーン!!! //って音、何度聞いてもじわじわくる。#manakainindia2017 pic.twitter.com/trzWem58YI— 真中ユエ (@manakayue) October 24, 2017
宮廷地区入口

遺跡は大きく宮廷地区とモスク地区に分けられます。広すぎてすべて見て回るのは大変なので、宮廷地区のほうだけ見学しました。
ジョーダー・バーイー殿

全体を通して赤砂岩の色が印象的です。ジョーダー・バーイー殿は宮廷地区の居住区に当たります。

アーグラー中心部の南西37kmにあるアクバル帝の城跡。世継ぎに恵まれなかったアクバルは、ここに住む聖者シェーク・サリーム・チシュティーの予言によって男児(後の第4代皇帝ジャハーンギール)を得た。これにちなんでアクバルは、1571年に首都をこの地に移転させた。
[出典:D28 地球の歩き方 インド 2017~2018
p.183]
時代的にはタージ・マハルよりも少し前になります。タージを作ったシャー・ジャハーンはムガル帝国の第五代皇帝、このファテープル・シークリーを作ったアクバルは第三代皇帝。孫と祖父という関係ですね。

せっかく一都市まるまる作り上げたにもかかわらず、水不足を理由にたった14年で打ち捨てられたという逸話がまたなんとも……。灼熱の大地にたたずむ幻のごとき都、といった趣です。

宮廷地区の風景いろいろ

ムガル帝国はイスラーム系の王朝ですが、ファテープル・シークリーの建築にはヒンドゥー教の様式が色濃く取り入れられています。ガイドさんによれば、皇帝にキリスト教のお妃さまがいた関係で、彼女のための建物にはキリスト教の様式も混ざっているんだとか。

こういう何気ない風景に心惹かれたりしませんか。ここをくぐると池のある中央広場のようなエリアに入ります。



ファテープル・シークリーの宮廷地区。#manakainindia2017 pic.twitter.com/ei5UuxFUXO
— 真中ユエ (@manakayue) November 1, 2017
パーンチ・マハル

パーンチ・マハル(五層閣)は遊戯や展望、納涼のための施設だったといわれています。なんでもハーレムの女性たちを駒に見立てたチェスを、皇帝が上から眺めて遊んだとかなんとか。
ディーワーネ・カース

ディーワーネ・カース(内謁殿)は、皇帝が貴賓や賢人たちを迎えるための謁見の間です。

室内の中央には装飾の施された大きな柱があり、四隅に向けて橋がかけられています。この中央部分に玉座があり、皇帝はここから貴賓や賢人たちを見下ろして話を聞いたのだそうです。
先ほどのパーンチ・マハルといい、何かにつけて高いところから見下ろしたがる習性がありますね、アクバル帝。

限られた日程のなか、一部分をざっくり見学することしかできませんでしたが、以上でここの観光は終了。灼熱の大地にたたずむつかの間の都、ファテープル・シークリーでした。
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